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無題

 「死にたくなったことはあるか」と聞かれた。聞いてくるからには思うところがあるのだろう、昨今のニュースもありひととおりの心配をするが、特に深い意味はないとの返事だった。あとで人づてに聞いた話だと、当時ひどく酒に酔っていて多方面に同じような事を聞いていたらしい。ひとまず安心はしたが、この安心は何に対してかとふと考える。大した事にならなかった事に対してもだが、何か不用意な事を言わなかったか、自分のせいで変な気を起させなかったか、という事への安心感も大きいと気づく。結局は自分が大事なのかと思うと、つくづく嫌な人間であることを実感する。

 

 

 どんな写真が好きかとふと考える。普遍的な写真や撮り手の人となりが見えてくる写真が好きなのだと思い至る。先日見かけたフォロワーのお子さんが撮った写真に惹かれるものがあった。子どもの眼は素直である。大人になると余計なことを考えてしまう。先入観を無くしフラットな目線で撮るように考えているが、その時点でもはや真にフラットな状態ではないのかもしれない。

 

 

 自発的なコミュニケーションは心理的なコスト消費が大きくあまり得意ではない。受身だとそこに割くコストがかからないので楽である。細々とだがアウトプットをしてるおかげか、幸いにも話しかけてくれる人がいるので助かっている。一般的には面倒な部類の人間であることは間違いなく、こんな人に見せるまでもない日記を書いているのが最たる例で、かまってほしい子どもの方がまだマシである。仲良くしてくれる方々には感謝しています。