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雑記

最近写真について考えていることや自己分析などを書きます。(2/22加筆修正)

 

・写真と言葉の関係

私は写真自体を言語の一種のようなものだと考えている部分がある。写真を見たらその人の思考や性格、言いたい事がある程度見えてくるし、それだけの情報量があると思っている。そんなわけで写真を文章で説明するのはあまり好きではない。私の写真にはこれといったイメージがなく、伝えたいこともそんなにないという点も大きい。裏を返せば、はっきりと伝えたい意図があるなら言葉で補足してあげることは必要である(展示のステートメントとか)。

 

・写真に対する自己評価

写真からその人が見えてくるという話を自身に当てはめると、カメラは自分を映す鏡(使ってるのはミラーレスだけど)という事になる。悪い写真だなと思いながら撮る人はあまりいないと思うが、俺の写真良すぎる!みたいに言う人は結構見かけるが、普通に考えればその人が良いように撮っているわけなので当然である。ただこれを自身の写真に対して考えてみると、正直なところ良い/悪いどちらとも思ってない気がする。自身を良く見せたいとも悪く見せたいとも思ってないからであり(100%そうかと言われると嘘になるが)、鏡のようにありのままを写してくれたらそれで良い。何かを写真に収めようと思う行為(=自身の内面と向き合う行為)に重きを置いており、写真の出来がどうであれ(自分を知ることが出来たという点で満足しているから)関係ない。どちらかというと写真自体よりも撮る行為の方に楽しさを感じているのはここに起因していると思う。自分を着飾るドレスや装飾品にはしたくなくて、あくまで知るツールとして向き合いたい。

 

・イメージのない写真

少し前に場所を決めて撮りに行くと撮れないという話をした。有名な場所に行くとして、そういった場所は既に撮りつくされており、ある種正解のような写真も存在していると思う。もちろんそれを承知の上で試行錯誤し、新たな答えを見つけるようなスタイルも全く否定はしない。ただ私がやると正解のイメージに引っ張られ、まるで人の言葉を借りて話しているかのような面白みのない写真か、奇を衒いすぎて良く分からなくなった写真が残る。そういうわけで、近所を歩いて気になったものを撮るスナップの方が私に向いている。そもそもあまり外出しないインドア人間にはそういった場所はあまり興味がなくて、カメラに首輪をつけられて散歩に連れ出されているくらいの感覚である。

 

・モノクロ

最近ほとんどモノクロで写真を撮っている。理由はいくつかあって、モノクロフィルム(ストリートパン)の描写が気に入って興味を持った、モノクロ時代のオールドレンズを最近よく使っている、持っているカメラがモノクロ向き、昔の写真論を読んで影響を受けた等々。ただ何でもモノクロで撮ってるわけではなくて、カラーの方が向いていると思った時はちゃんとカラーで撮ってる。

 

ストリートパンで撮った写真

flic.kr

ありのままを撮りたいという点においてもモノクロは優れていると思っている(色が無いのにありのままというのもおかしな話だが)。色の持つイメージは想像以上に強くて、時には意図しない印象を受けてしまう。色彩の無いモノクロはより本質的な部分を知るきっかけを与えてくれる。

 

 

表でこういう話はうるさいかなと思って控えてるので、こういう話題に興味がある方は会ったときにでも聞いてください。