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雑記

昨日見た公募展のメモ

 

●テーマ解釈

・解釈のレンジが思ったより広くて結構なんでもアリな感じ

・当たり前だけど、自由な発想で良い

・もっと頭をやわらかくしましょう

 

●どの程度わかりやすくするのか

・大前提として意図が伝わること

・少なくとも、審査を通っているのは理解されている作品

・わからないものは評価できない

・だけど、わかりやすすぎても面白くないよね

・良い作品はわかりやすさと奥行きのバランス感覚が優れていた

・理解してもらいたいなら、理解する努力をする

 

●奥行きを生み出す要素はなにか

・見る側の想像力を掻き立てる引っ掛かりや違和感

・タイトルはかなり重要、ハマってると立体感出る

・組写真の方が厚みを出しやすそう

 

 

雑記

最近写真について考えていることや自己分析などを書きます。(2/22加筆修正)

 

・写真と言葉の関係

私は写真自体を言語の一種のようなものだと考えている部分がある。写真を見たらその人の思考や性格、言いたい事がある程度見えてくるし、それだけの情報量があると思っている。そんなわけで写真を文章で説明するのはあまり好きではない。私の写真にはこれといったイメージがなく、伝えたいこともそんなにないという点も大きい。裏を返せば、はっきりと伝えたい意図があるなら言葉で補足してあげることは必要である(展示のステートメントとか)。

 

・写真に対する自己評価

写真からその人が見えてくるという話を自身に当てはめると、カメラは自分を映す鏡(使ってるのはミラーレスだけど)という事になる。悪い写真だなと思いながら撮る人はあまりいないと思うが、俺の写真良すぎる!みたいに言う人は結構見かけるが、普通に考えればその人が良いように撮っているわけなので当然である。ただこれを自身の写真に対して考えてみると、正直なところ良い/悪いどちらとも思ってない気がする。自身を良く見せたいとも悪く見せたいとも思ってないからであり(100%そうかと言われると嘘になるが)、鏡のようにありのままを写してくれたらそれで良い。何かを写真に収めようと思う行為(=自身の内面と向き合う行為)に重きを置いており、写真の出来がどうであれ(自分を知ることが出来たという点で満足しているから)関係ない。どちらかというと写真自体よりも撮る行為の方に楽しさを感じているのはここに起因していると思う。自分を着飾るドレスや装飾品にはしたくなくて、あくまで知るツールとして向き合いたい。

 

・イメージのない写真

少し前に場所を決めて撮りに行くと撮れないという話をした。有名な場所に行くとして、そういった場所は既に撮りつくされており、ある種正解のような写真も存在していると思う。もちろんそれを承知の上で試行錯誤し、新たな答えを見つけるようなスタイルも全く否定はしない。ただ私がやると正解のイメージに引っ張られ、まるで人の言葉を借りて話しているかのような面白みのない写真か、奇を衒いすぎて良く分からなくなった写真が残る。そういうわけで、近所を歩いて気になったものを撮るスナップの方が私に向いている。そもそもあまり外出しないインドア人間にはそういった場所はあまり興味がなくて、カメラに首輪をつけられて散歩に連れ出されているくらいの感覚である。

 

・モノクロ

最近ほとんどモノクロで写真を撮っている。理由はいくつかあって、モノクロフィルム(ストリートパン)の描写が気に入って興味を持った、モノクロ時代のオールドレンズを最近よく使っている、持っているカメラがモノクロ向き、昔の写真論を読んで影響を受けた等々。ただ何でもモノクロで撮ってるわけではなくて、カラーの方が向いていると思った時はちゃんとカラーで撮ってる。

 

ストリートパンで撮った写真

flic.kr

ありのままを撮りたいという点においてもモノクロは優れていると思っている(色が無いのにありのままというのもおかしな話だが)。色の持つイメージは想像以上に強くて、時には意図しない印象を受けてしまう。色彩の無いモノクロはより本質的な部分を知るきっかけを与えてくれる。

 

 

表でこういう話はうるさいかなと思って控えてるので、こういう話題に興味がある方は会ったときにでも聞いてください。

 

雑記

・最近読んだ/読んでる本とか

www.shinchosha.co.jp雑誌に引用されていた一文が印象的だったので購入。

 

www.shinchosha.co.jp

www.msz.co.jpプンクトゥム

 

www.kinokuniya.co.jp

www.kadokawa.co.jpキャラクターが魅力的。

 

to-ti.in雪女の話が好き。

 

 

bigcomicbros.net最近読んだ中で一番良かった

 

www.shogakukan.co.jp連載の方は完結したらしい

 

 

・写真

ここ1ヶ月くらいモノクロにハマってる。カラー写真がしっくりこない

 

・料理

謎の和食ブームが来てる。米がうまくて太る

 

 

 

 

 

 

 

 

 

雑記

11月某日

POP AIDのリリパ。

TEMPLIME+星宮ととはコロナ禍前にLOUNGE NEOで見たのが最初だったが、今回この規模感でのライブ開催は感慨深い。かなり失礼かもしれないが、ちゃんとTEMPLIMEでやる意味のある構成で良かった。ゲストも好きな面々が揃っており、満足度の高いパーティーだった。

 

翌日はVRCのフレンドと散策。軽く誘ってはいたがふらっと来てくれて感謝。途中で勧められたラーメン食べたり、調子の悪かったヘッドホンを買い替えたり。前のHD598は10年使ったのでまた長く使っていきたい。

 

夜は大学時代の友人と飲んだあとカラオケへ。カラオケなんて何年ぶりだろうか。下手ではないけど感情が足りないと言われ、自分の性格や物事に対する姿勢とオーバーラップする部分があるなと思って笑ってしまった。

ところでフレンドと友人を書き分けたけど特に違いがあるのか?なんにせよ、構ってくれる人がいるのは嬉しい限りである。

 

・このブログの話

元々は文章を書く練習として始めたが、上にも書いたように自分はあまり感情を表に出さない方だと自覚しており、周囲からも落ち着いてる、何考えてるかわからない(悪口?)、腹から声出せ(悪口)みたいな事を言われるため、自己開示としての側面も備えている。書くにあたり、先のリリパにも出ていたアリムラ氏のブログは結構参考にしており、興味ある方は読んでみてください。真面目とユーモアのバランスが絶妙で面白いです。

 

ではまた。

無題

そんなに写真の話をしたいわけではないが(本当はおいしい炒飯の作り方とか書きたい)、とりあえず。

実家のアルバムを眺めながら考える。写真の本質は過去の記録である(デジタル時代の今、写っているものが記録として正しく機能するか、という点はここでは考慮しない)。

デザインされた(コンストラクテッドな)写真はイメージとしての価値はあるが、記録としての価値は無いだろう。それこそイメージのアウトプット手段として用いるのであれば、絵や文章でも事足りるはずである(絵が描けないから代替としている可能性もあるが、それが写真である必然性は無い)。

記録の手段としてカメラを使うのか、ペンの代替として使うのかという点は常に考慮する必要がある。どちらに優劣があるという話ではなく、本質的な部分を理解していないのは危険だな、と自らを戒める意味でも記しておく。

 

無題

 「死にたくなったことはあるか」と聞かれた。聞いてくるからには思うところがあるのだろう、昨今のニュースもありひととおりの心配をするが、特に深い意味はないとの返事だった。あとで人づてに聞いた話だと、当時ひどく酒に酔っていて多方面に同じような事を聞いていたらしい。ひとまず安心はしたが、この安心は何に対してかとふと考える。大した事にならなかった事に対してもだが、何か不用意な事を言わなかったか、自分のせいで変な気を起させなかったか、という事への安心感も大きいと気づく。結局は自分が大事なのかと思うと、つくづく嫌な人間であることを実感する。

 

 

 どんな写真が好きかとふと考える。普遍的な写真や撮り手の人となりが見えてくる写真が好きなのだと思い至る。先日見かけたフォロワーのお子さんが撮った写真に惹かれるものがあった。子どもの眼は素直である。大人になると余計なことを考えてしまう。先入観を無くしフラットな目線で撮るように考えているが、その時点でもはや真にフラットな状態ではないのかもしれない。

 

 

 自発的なコミュニケーションは心理的なコスト消費が大きくあまり得意ではない。受身だとそこに割くコストがかからないので楽である。細々とだがアウトプットをしてるおかげか、幸いにも話しかけてくれる人がいるので助かっている。一般的には面倒な部類の人間であることは間違いなく、こんな人に見せるまでもない日記を書いているのが最たる例で、かまってほしい子どもの方がまだマシである。仲良くしてくれる方々には感謝しています。

雑記

こうして文字を書いているのにはいくつか理由があるが、文章に起こさないと余計な事や思ってもいない事を言いがちなのが大きい。

 

・KYOTOGRAPHIE2023

GWに2日間かけて観てきた。前情報はほとんどない状態で観に行ったが、写真単体の展示というより展示空間も含めたインスタレーション的な感じで新鮮だった。全部観た中で特に印象に残った作品は、

 Kazuhiko Matsumura/心の糸

 Paolo Woods & Arnaud Robert/Happy Pills

 Yuriko Takagi/PARALLEL WORLD

 César Dezfuli/Passengers

あたりだろうか。ここに挙げなかったものも、作品の好き嫌いは別として意図や信念といったものは感じ取ることができ、視野が広がるいい機会だった。

www.kyotographie.jp

 

SNSとの付き合い方

数週間ほど前に思い立ってTwitterアプリをスマホから消した。今のところ特に困っていることは無い(皆様の面白ツイートはwebでみていますので安心してください)。

 

少し前に気になる話題があった。SNSのように写真を見せる場所がなかったら撮る必要は無いのか?みたいな内容だったと思う。NOと言い切りたいところであるが、案外そうでもないなと思い始めている。結局一人でやっていても凝り固まってしまうし、ある程度のフィードバックが無いとモチベーションを保つのも難しい(たまに壁打ちみたいなアカウントも見るけどかなりの狂人だと思う)。肯定的な反応も嬉しいが、良いところは良い、悪いところは悪いと素直に言ってくれる方がさらに嬉しい(さすがに罵詈雑言は泣いちゃうのでやめてね)。個人的には数字よりも言葉のほうが嬉しいので、なるべく会った際に直接伝えるようにしている。結局は毒にも薬にもなるわけで、うまい付き合い方を模索しながらやっていこうという所存です。

 

少なくともこの文章を見てくれている方は何かしらの興味を持って開いてくれていると思うので、今後ともよろしくお願いします。